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和田一夫さん インタビュー記事3(ビジネスバンクインターン6期生 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽) 9月22日(全4回)

 

はい、ありがとうございます。3つ目の失敗についてお話いただけますか?

3つ目は、日本側ヤオハンの失敗です。

1995年に、中国最大の百貨店を作りました。その百貨店は、オープン初日で107万人!の来客を獲得したのです。これは15年たった今でも、いまだに破られていないギネス記録です。ブラジルの失敗の経験があったおかげで、中国では大成功することができました。

しかし、それも一時的な成功で、また失敗してしまったんです。

 

どんな失敗をしてしまったんですか?

日本の本社がつぶれてしまったんです。

当時、1600億円の借金をしていました。その当時日本には『中国は危ない』という経営学的な考え方があり、銀行の融資が滞ってしまったのです。中国は大盛況でしたが、日本の本社を倒産させてしまいました。東証第1部の会社を僕は倒産させてしまったんです。すべては私の責任でした。

 

●  とても残念な出来事でしたね。そこから学びになったものは何だったのでしょうか?

良い時が、一番危ないということです。

悪い時はみんな努力するし、考えて勉強もする。けれども良い時は、成功が当たり前だと思ってしまうんです。良い時こそ、努力は必要なんです。

 

そうですか、その後のお話もしていただけますか?

失敗しても、必ずチャレンジをしなければなりません。それは僕にとって本当に大変なことでした。倒産した時、僕は68歳。そこから何をやるかと考えた時、自分の財産は何もありませんでした。0になったんです。僕はそこから再起できるのかどうかということを考えると、ものすごく絶望しましたよ。68歳ではもう駄目だな、と思いました。

 

僕はまず自分の健康が一番心配でした。新しいことをやるときには、20年は勉強が必要なんです。だから僕の場合は88歳まで。こんな私のような歳で活躍した人は今までいるんだろうか?という疑問を持ちました。もしもいるならば、その人の本を読みたいと思ったんです。探してみたんです。そしたら意外なことに2人の先輩がいたんですよ。

 

その先輩とはどなたですか?

1人目は、松永安左エ門さんです。

彼は東京電力の創設者です。当時太平洋戦争で電力の最前線で活躍していた人々がみんな亡くなってしまったため、彼以外に日本の電力を再編できる人物はいなかったんです。彼はやり遂げました。79歳で日本を救ったんです。

 

2人目は小平さんです。

彼は3回失脚後、4回目の名誉回復をしました。当時の彼は74歳。その後90歳まで中国共産党の事実上トップとして中国政府を動かしていました。

 

私は、彼らの本を読み漁りました。小平さんの本には、『私も0になって、力が出てきた』と書いてありました。それを見て僕も力が湧いてきたんです。


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国際経営コンサルタント
和田一夫レポート

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和田一夫(わだ・かずお)
1929年神奈川県生まれ
日本大学経済学部卒。

42歳で日本初となるスーパーマーケットの海外進出を果たし、54歳で年商1,000億円を突破する企業を創った。最高売上5,000億円、世界16カ国450店舗展開を達成ヤオハングループ。68歳の時に上海栄誉市民賞を受賞する。
【現職】
中華人民共和国上海市栄誉市民
国際経営コンサルタント
前八佰伴国際集団 総裁
株式会社ハウインターナショナル 取締役会長
上海国際経営塾 塾長
福岡大学経済学部 非常勤講師

和田一夫Facebook公式サイト「和田一夫」で検索

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