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  • 2011.09.30 Friday
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和田一夫さん インタビュー記事4(ビジネスバンクインターン6期生 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽) 9月22日(全4回)

  彼らのおかげでまた立ち上がることができたのですね。
和田さんの今の夢は何ですか?
 僕は、世界一のカンパニードクターになりたいです。
 この夢を持ち、68歳から14年間努力してきました。スーパーマーケットの海外進出戦略に関して僕は日本中で誰にも負けないと思っています。今の時代に僕の考え方が通用するのかを試してみたいんです。
そして20年経った6年後、『和田さんの言ったことは本当だった。その通りになった!』といわれるようになりたいですね。

 まだまだ若々しいですね!
失敗して立ち上がれない起業家さんはたくさんいると思います。どうしたら何度も立ち上がれるのでしょうか?
 『日本一の八百屋になりたい』『流通業のSONYになりたい』『第2の小平になりたい』と、僕はいつでも夢を持っているんです。失敗した人は僕から学びなさい。
 夢を見つけるために、僕は【感動ノート】というものを3度目の失敗の後からつけています。毎日の感動をノートに書いていると、自分の夢ができるんです。結局心に思うことが実現するんです。思いもしないことは実現しない。思い続ける努力をしなさい。私はそのために【感動ノート】を付けています。

 夢を持つことはとても大切ですね。たくさんのメッセージをいただきましたが、
最後に改めて、起業を目指す若者にメッセージをお願いします!
 
 自分のやりたいことは何なのか 3年でも5年でもかけていいから 見つけなさい。
 
 決まったら必ず実現できる。寝ても覚めてもどんな時でも、全ての夢は叶う。夢を持つのは大したことじゃありません。まずは夢を持ちなさい。そしたら決断し、行動しなさい。失敗したっていいんだから。失敗には大きな価値がある。困難にも戯れるくらいになりなさい。そうしたらどんどん先が見えてくる。今日の失敗を恐れず、明日の成功に繋げなさい。困難にあった時は、立ち上がって挑戦しなさい。
まだまだ時間がある君たち、失敗を恐れず何でも挑戦しなさい。将来世界で活躍するのを楽しみにしています。


和田一夫访问录 3 (全4回) 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽 9月27日 中文版

 

●那么能否请您谈一下第三个失败?

第3次是日本的八百半的失败。

1995年,中国最大的「上海第一八佰伴百貨店」正式开幕,开业当天的购物来访人数高达107万余人,至今已15年了仍然保持着世界吉尼斯纪录。因为有了在巴西的惨痛教训后,所以在中国的八百半取得了重大的成功。

然而,它也是一个暂时性的成功,我又再一次陷入了失败。

 

●那是怎样的失败呢?

是日本的八百半本社倒产。

当时,我欠下了1600亿日元的债务。那时在日本的很多人都认为“日本企业在中国经营是相当危险的”,所以导致向银行贷款也非常不容易。

八百伴在中国取得了重大的成功,可在日本的本部却倒产了,在日本東京証券交易所上市的八百半也荡然无存了,这一切的一切都是因为我自己一手造成的,我要对此负起全部的责任。 

 

●对您来说这确实是个非常不幸的事情,那您从中学到了什么呢?

当人生事业达到最高峰时期时,人往往就对自身的自律性变得不那么严谨,很容易出现疏忽大意,掉以轻心的状况。这样对自身的事业会带来严重而巨大的危机。

当事业处在初期的阶段时,你会不断地努力,学习,思考。可到了可以让自己满足或超出自己想要达到的阶段时,就会感觉到成功对自己来说是必然的。到了这个阶段时自律性就会松懈,那就非常危险了。所以一定要居安思危,并且要不断努力。

 

●那给我们讲讲后来发生的事情好吗?

当你跌倒后,一定要再次爬起来,去迎接新的挑战。可对我来说这真的是很难,倒产的时候我已经68岁了,我开始思考我应该做些什么?八百半的倒产让我身无分文,想起这些真的使我非常绝望。我想68岁的自己不论再做什么也不会再次成功。

当时的我最担心的事是身体的健康问题,我对自己说;如果我要有一个新的开始,就必需用20年的时间来进行学习研究,学习到88岁。我开始寻找像我这样年龄的人是否还有在继续努力工作的人。如果有的话我想阅读他的书籍,真是上天不负有心人,让我找到了两位前辈。

●那这两位前辈是谁呢?

一位是松永安左エ門先生

他是东京电力公司的创始人。人称[电力之鬼],当时在第2次世界大战的战争时期,没有任何人能将电力产业重建起来。他挑起了这个重担,活跃在电力行业的第一线,并且对电力行业进行了重组及改造,当年他79岁。

另一位是邓小平先生

他3起3落但最终仍然站了起来,建立了新的中国体制。当中国文化大革命结束后,他已经74岁了,并在恢复职务之后,一直到92岁去世前,在中国的历史上留下了光辉的一页。

他的这种精神让我着实的感动,并给我带来了无穷的力量,让我感觉到我也可以从零开始再度扬帆启航。


和田一夫さん インタビュー記事3(ビジネスバンクインターン6期生 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽) 9月22日(全4回)

 

はい、ありがとうございます。3つ目の失敗についてお話いただけますか?

3つ目は、日本側ヤオハンの失敗です。

1995年に、中国最大の百貨店を作りました。その百貨店は、オープン初日で107万人!の来客を獲得したのです。これは15年たった今でも、いまだに破られていないギネス記録です。ブラジルの失敗の経験があったおかげで、中国では大成功することができました。

しかし、それも一時的な成功で、また失敗してしまったんです。

 

どんな失敗をしてしまったんですか?

日本の本社がつぶれてしまったんです。

当時、1600億円の借金をしていました。その当時日本には『中国は危ない』という経営学的な考え方があり、銀行の融資が滞ってしまったのです。中国は大盛況でしたが、日本の本社を倒産させてしまいました。東証第1部の会社を僕は倒産させてしまったんです。すべては私の責任でした。

 

●  とても残念な出来事でしたね。そこから学びになったものは何だったのでしょうか?

良い時が、一番危ないということです。

悪い時はみんな努力するし、考えて勉強もする。けれども良い時は、成功が当たり前だと思ってしまうんです。良い時こそ、努力は必要なんです。

 

そうですか、その後のお話もしていただけますか?

失敗しても、必ずチャレンジをしなければなりません。それは僕にとって本当に大変なことでした。倒産した時、僕は68歳。そこから何をやるかと考えた時、自分の財産は何もありませんでした。0になったんです。僕はそこから再起できるのかどうかということを考えると、ものすごく絶望しましたよ。68歳ではもう駄目だな、と思いました。

 

僕はまず自分の健康が一番心配でした。新しいことをやるときには、20年は勉強が必要なんです。だから僕の場合は88歳まで。こんな私のような歳で活躍した人は今までいるんだろうか?という疑問を持ちました。もしもいるならば、その人の本を読みたいと思ったんです。探してみたんです。そしたら意外なことに2人の先輩がいたんですよ。

 

その先輩とはどなたですか?

1人目は、松永安左エ門さんです。

彼は東京電力の創設者です。当時太平洋戦争で電力の最前線で活躍していた人々がみんな亡くなってしまったため、彼以外に日本の電力を再編できる人物はいなかったんです。彼はやり遂げました。79歳で日本を救ったんです。

 

2人目は小平さんです。

彼は3回失脚後、4回目の名誉回復をしました。当時の彼は74歳。その後90歳まで中国共産党の事実上トップとして中国政府を動かしていました。

 

私は、彼らの本を読み漁りました。小平さんの本には、『私も0になって、力が出てきた』と書いてありました。それを見て僕も力が湧いてきたんです。


和田一夫访问录 2 (全4回) 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽 9月24日 中文版

和田先生在您的人生中有很多失,能向我们讲述一下您失经历

 

在我的人生中3次非常大的失

第一次,是在我大学期,家里遭到一大火。

第二次,是八百伴进军巴西的失

八佰伴是日本的超市中率先进军世界的。第一家店建在巴西,经过3-4年的不懈努力,得了很大的成功。但好景不,巴西因石油危机致通,物价也随之翻了10倍。

进军巴西市之前,日本很多经济学者都非常看好巴西的经济,我也得巴西的经济不会出现问题,所以才会将八百伴创建在巴西。并非如此・・・我来又是一次非常大的失

第三次,1997年,八百半破产。

 

您想要将八百伴扩展到全世界呢?

我受到了SONY公司的盛田先生和井深先生『隙理』的极大影响,他们的观点是[在什的地方从事商业活动,必定都会有]。因为这个理两个抱有梦想的企家将SONY公司推向了世界的舞台。

我的梦想是『将八百伴流通产业也像SONY公司一向世界个新的大舞台。

的日本已有很多的大型超市公司,八百伴在人的眼中只是伊豆半的一家很不起眼的超市百店。然它只是一家很小的超市,但是我想将它变为最好最棒的。那么要用什么样的方法可以将它展起来呢?既然在日本国内面临着市场激烈的竞争我们完全可以向没有日本超市的国家进军,我认为这样会给八百伴带来更广阔的展前景。

 

●能告一下您失原因

是我自己没能很好的预测世界经济大多数经济学家都世界经济没有问题候,我信以得没有问题对从人那里听到的事情深信不疑,我想是我失的重大原因。

件事上我真正的意想做一个世界的企并不是一件容易的事。

 

●那您从中学到了什呢?

不论自己想要做什么事,事先都要再三的思考,并亲自去作前期调查,而不是盲目的相信外界的观点。如果没有十足的把握,绝对不要易的做出决定。
里我也想向活在世界舞台上的年们说,不在任何一个国家想要


和田一夫さん インタビュー記事2(ビジネスバンクインターン6期生 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽) 9月22日(全4回)

 和田様は人生で数々の失敗をなさったそうですが、今度は今まで経験した失敗についてお話いただけますか?

 

僕は人生で大きな失敗を3つしました。

一つ目は今お伝えしたように、大学時代火事に遭ったことです。

 

二つ目はブラジル進出の失敗です。

ヤオハンは日本のスーパーマーケットで一番初めに世界進出をしました。その第一号店が、ブラジルへの出店でした。進出してから3〜4年は大成功を治めることができました。しかしその後、ブラジルはオイルショックで強烈なインフレーションが起こってしまい、物価が約10倍に上がってしまいました。日本の学者は皆、ブラジル経済は絶対に大丈夫だと言っていたから、私もそう思ってブラジルにお店を出したのですが・・・。でも結果としては大失敗となってしまいました。

 

    どうして世界進出をしようと思ったのですか?

僕はSONYの盛田さん・井深さんの「どんなところにも必ず隙間はある。」という『隙間理論』から大きな影響を受けました。その理論から、SONYを世界一にした2人に憧れて『僕はヤオハンを流通業のSONYにしたい』という夢を持ちました。

当時、日本にはたくさんの大手スーパーマーケットがありました。だからヤオハンのような伊豆半島にしかない小さなスーパーでは一番になれないと思われていました。しかし、僕は一番になりたかったんです。そこで僕は、日本のスーパーがまだどこもやっていない海外進出をしようと考えました。

 

    失敗をしてしまった理由は何ですか?

 

僕は経済を甘く見ていたんです。世間の人がみんな絶対大丈夫といったから、僕も大丈夫だと思ってしまった。人から聞いた話をそのまま信じ込んでしまったから、僕は失敗してしまったのだと思います。そもそもそう簡単に世界企業になれっこ無かったという事なんですね。

 

    そこから学んだことはなんですか?

自分自身で大丈夫と確信しなかったら、絶対にお店を出しちゃいけない、ということです。

これから世界で活躍する僕の後輩たち、どの国に進出するのか、どういう事業をやるかを考えるときは、自分自身で勉強し、確認をすることを怠らないようにして下さい。

 

■和田総研(株)

http://www.wadakazuo.com/index.html


和田一夫访问录 1 (全4回) 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽 9月20日 中文版

● 请介绍一下您小的时候是怎样的。

 实际上,我是怀孕7个月出生的早产儿。小的时候身体很弱,父亲和母亲都很担心我的身体,到了冬天的时候他们总是用3,4个暖水袋给我取暖。现在想想,我可以活到82岁也完全是一个奇迹。

● 您小的时候是怎样的一个孩子呢?

我小时候受到父母过多的庇护,是个很懦弱的孩子,还没有打架,就已经哭着跑回家了。

● 那您的学习成绩是怎样的呢?

小时候学习成绩一直都不是很好,特别是体育课和音乐课还有一些实际技巧课全都不行。只有算数课是拿甲的成绩,通过母亲的耐心辅导,在4年级到5年级的时候,我的成绩一下子提高了上来。

因为父亲和母亲是经营八百伴的蔬菜商人,也希望我可以继承他们的产业,所以想让我上商业高中学校。为了使我对数字方面有更敏锐的判断力,父母重点在数学和簿记科目上对我加强辅导。我也最终按照他们的意愿进入了商业高中。

● 您的高中生活是怎样度过的?

我16岁的时候,当时第二次世界大战还在进行,学校的学生也必须参加[勤労動員]的活动,我被分配到了横滨的三菱造船所进行劳动生产。这样的体力劳动确实是一件很艰苦的事情。想一想现在年轻人的生活状况,我真是非常嬖蕁幣弌

● 那么请您告诉现在年轻的学生们『在学生时期应该做且必须做什么样的事』

给自己设定一个目标,不论是什么样的事情只需要一件,不管这件事有多么的不起眼,只要是你自己非常想要去做的,就要把它做好。顺便说一句,当时我非常想做的事是做『全日本第一的蔬菜店』。

● 那您大学时代是怎样度过的呢?

当时,我在三岛的日本大学的经济学部里学习,那时我被学生组织的共产主义活动所感召,并非常热情地参加此活动。因此遭到了学校的退学处分。母亲得知此事后,向学校的校长再三请求,我得以幸免。用一句话来说,我是一个有问题的孩子(笑)

还有一件事对我的生活及想法有着重大的影响,就是我家的火灾。当时因为这场大火,把家里的一切全部都烧光了,真的是变成了身无分文。还有,我居然忘记了母亲委托我买保险的事情,所以最终200万日元的保险金也没拿到。

这件事是我人生中的第一次重大失败。

 

■和田総研(株)

http://www.wadakazuo.com


和田一夫さん インタビュー記事1(ビジネスバンクインターン6期生 日本大学2年 坂香澄 and井坂陽) 9月19日(全4回)

● 生い立ちについて教えてください

実は僕は月足らずで生まれてきた未熟児でした。小さなころはとても身体が弱かったので、父も母もとても心配してくれ、冬には体が冷えないように湯たんぽを3つも4つも用意してくれたそうです。だから、今思うと82歳まで生きられるとは思ってもみませんでした。

   ● 小さなときはどんな子だったのですか?

両親に過保護に育てられたこともあり、幼いころはすごく弱虫で、喧嘩をしてもすぐに泣かされて帰ってくるような子でしたね。

    ●そうなんですか、勉強ではいかがでしたか?

僕は勉強もあまりできない子でした。そんな僕に母は熱心に教育をしてくれました。

学校の成績は当時『甲・乙・丙』だったのですが、僕は丙ばかりだった。特に体操・音楽など実技はみんなダメでした。

逆に甲をもらえたのは算数ぐらいで、母の熱心な教育のおかげで、4〜5年生では、グンと成績が伸びました。父と母はヤオハンという八百屋を経営していたので、僕を商業高校に進学させたいと思っていました。算数を熱心に学ばせられたのも、簿記に強くなって欲しいとの願いがあったからだと思います。その親の意向通り、僕は商業高校に進学することになりました。

   ● 高校生活はどんなものでしたか?

僕が16歳の時はまだ、太平洋戦争が続いていました。勤労動員に行かねばならず、横浜の三菱造船所で働いていました。だから、今の人たちは本当に恵まれているとうらやましく思ってしまいます(笑)

   ● では、和田様に比べたら幸せすぎるくらいの現代の学生たちに『絶対これだけはやっておいてほしい!』と思うことを教えてください。

一つでいいから、どんなに小さくてもいいから、本当に自分がやりたいことを見つけてください。ちなみに僕のやりたいことは『日本一の八百屋になること』でした。

 ●   大学時代のお話もお聞かせください。

僕は三島にあった三島予科に行きました。学生団体に所属していて、当時共産主義にすごく魅力を感じていました。そこでの活動で、僕は退校処分になってしまったんです。しかし、母が予科長のところへ説得しに行ってくれたおかげで、何とか退校を免れることができたという経緯があります。一言でいえば、問題児だったんですね(笑)。

それともう一つ、僕の人生に大きな衝撃を与える出来事が起こりました。それは、僕の家が、火事にあったんです。その時僕は、母から頼まれていた火災保険に入るのをすっかり忘れており、200万円の保険金をもらうことができず、大失敗をしました。これは人生最初の大失敗でした。

 

和田総研(株)

http://www.wadakazuo.com


今年的9月18日,即将迎来八百伴破产的第14个年头

时光飞逝,到今年的9月18日,即将迎来八百伴破产的第14个年头。 当东京证券交易所上市的八百半(日本)宣布破产的当天,在当时的日记里,我写下了[从现在起,一定会一点点好起来],因为我清楚,当一切归于零的时候,重新出发的每一步都在向着更好的未来迈进。而那时,八百半(国际)的总部已经从香港迁往上海,我还在兼任八百半(国际)的总裁,并担任整个八百半集团的总指挥。 但是,由于日本八百伴的破产,作为八百半国际总指挥的我,承担起所有责任,辞掉了约50家公司的职务,包括日本,中国,香港及美国等相关的工作。 从辞去八百伴所有职务到现在,回首14年的兴衰起落,让我更加的清楚了,当初果断退任的决定才创造出现在的一个崭新的自我。辞去所有的职务,对于我来说,也是将自己归零。 68岁时八百伴破产,历经了14个春秋迎来了82岁,真是让我感慨万千。

9月18日は僕が倒産して満14年の我人生の記念日を迎える

 今年の9月18日は僕が倒産して満14年の我人生の記念日を迎える。

東証一部上場会社ヤオハンジャパンが倒産したとき、当日の僕の日記には“これでよくなる”と書いた。当時僕は香港のヤオハングループ総本部から上海のグループ総本部に移住してヤオハン全グループの総指揮を取っていた。

しかし、ヤオハンジャパンが倒産したとき、僕は経営トップの責任として約50社程の日本、中国、香港、アメリカ等の関係全社役員を辞任した。

ヤオハンジャパンを含めてグループ全体の体表職にあったので全て辞任したのであった。

あれから14年を振り返ってみて、責任を明らかにして、全ての役職を辞任した決断が今日の新しい自分を切り開いたくれたのであった。

倒産した時の年齢が68歳。あれから満14年の82歳を迎えて、誠に感無量である。


22日午後3時10分よりニッポン放送の{上柳昌彦のごごばん}電話出演内容

【上柳】

1983年放送、朝のNHK連続テレビ小説「おしん」。

この物語は 苦難に遭いながらも、決してあきらめず、明治、大正、昭和と、激動の時代を懸命に生き抜いた、女の一代記でした。

辛抱強い「おしん」の姿が、日本だけでなく世界各国で共感を呼び、「おしんドローム」という言葉も生み出しました。平均視聴率は、52.6%・・・、

「おしん」を超えるテレビドラマは、これからも現れないでしょうね。

さて、主人公・おしんですが、「ヤオハン」を興した「和田カツさん」がモデルだといわれています。きょうは、その母とリヤカーで野菜を販売し、熱海の八百屋であった「八百半商店」から、「世界のヤオハン」へ成長させた、元・ヤオハンインターナショナル会長・和田一夫さんの、波乱万丈の人生をご紹介します。

世界450店舗、従業員およそ2万8000人、年商5000億円を稼ぎ出した国際流通グループ「ヤオハン」。その躍進を支えたのが、中国進出でした。1989年の「天安門事件」以降、外資企業が弱腰になっていた中国市場へ積極的に乗り出したのが、ヤオハングループ総帥・和田一夫さんでした。1995年、12月、「上海第一八佰伴百貨店」がオープンしたとき、初日、107万人の買い物客が来店し、一日の来店客数の世界新記録を塗り替え、ギネスブックに登録されました。そして、ヤオハングループ総本部を、香港から、上海へ移し、中国大陸での事業展開を、次々と成功させます。そんな矢先、日本のバブル経済が崩壊・・・、深刻な消費不況に見舞われ、1997年、「ヤオハンジャパン」が倒産。負債額1600億円を残し、和田一夫さんは、グループのすべての役職を辞任し、文字通り、牋貶弧気鍬瓩砲覆辰討靴泙い泙靴拭

「中国人に財産を騙し取られた」と陰口を叩く人もいましたが、和田さんは、きっぱりと否定します。「中国に目を向けすぎて、足元のヤオハンジャパンの経営をおろそかにしてしまった。

すべての責任は私にあり、倒産を招いた最大の原因は、私の『おごり』にあった」とおっしゃっています。どん底に転げ落ちたのが、68歳のときでした。その日のお金にも困るほど、「貧乏」になり、苦労の連続でした。でも、「貧乏になって、幸せになった」と言います。なぜなら、「贅沢をしなくなり、質素な食事に変わったから・・・」だそうです。

香港や上海に拠点を構えていたころの、連日連夜、贅沢三昧。毎晩、豪華な食事に舌鼓を打つ、あのころの食事を続けていたら、とっくに死んでいましたよ」と、和田さんは笑います。昭和4年生まれ、82歳。

『夢は必ず実現する』という信念を持ち続け、20歳から書き始めた日記を、いまも欠かさず付けています。失敗したときには、「これでよくなる!」と書いてきたそうです。80歳を過ぎて、「いまが一番楽しくてしようがない」とおっしゃる和田一夫さんの、80歳からの「大逆転人生」を伺います。

【上柳】 (少し感想があって)

いま、和田一夫さんに、電話がつながっています。

和田さん! こんにちは!

【和田】(あいさつ)

【上柳】 82歳になって、新しく始めたことがあるそうですね。

【和田】 *(8月から、フェイスブックを始めました。中国語にも翻訳されている)

【上柳】 ヤオハンが中国に進出したときは、

和田会長がテレビに出ない日は、ありませんでしたね。

あのときは、どんなお気持ちだったんですか?

【和田】 *一番いいときで、天狗になっていた。

*「一番いいときが、一番危ない」これが教訓。

【上柳】  ☆倒産したときが、68歳だったそうですね。

これから、どう生きていこうと思われましたか?

【和田】   *一番の悩みは、スーパーの経営以外やったことがないことだった。

*無一文になって事業は起こせない。

*68歳から、何をやっていこうかと、考えた。

*そして、本を読み続けた。

【上柳】  ☆「小平さん」の本を読んで、勇気がわいたそうですね。

【和田】   *小平氏は、3度失脚し、いまの中国を築いた。

*文化大革命後、74歳で復帰し、92歳で死去するまで、

引退せずに陣頭指揮を続けてきた。

*私も、ゼロになって、逆にエネルギーが出てきた。

【上柳】  ☆和田さんの信念は、「夢は必ず実現する」だそうですが、

82歳の和田さんは、どんな「夢」をお持ちですか?

【和田】  *いま、中国と日本の関係が悪化している。

*中国への進出を迷っている企業トップも多いと聞く。

*私には、失敗の経験を持っている。

*中国は、14億人のお客さんがいる、魅力あふれる市場だ。

*私の夢は、「中国と日本を結ぶ経営コンサルタントで、世界一になること」。

【上柳】 和田さん! ありがとうございました。

お体に気をつけて、夢をかなえてください。

国際経営コンサルタントの和田一夫さんでした。



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国際経営コンサルタント
和田一夫レポート

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和田一夫(わだ・かずお)
1929年神奈川県生まれ
日本大学経済学部卒。

42歳で日本初となるスーパーマーケットの海外進出を果たし、54歳で年商1,000億円を突破する企業を創った。最高売上5,000億円、世界16カ国450店舗展開を達成ヤオハングループ。68歳の時に上海栄誉市民賞を受賞する。
【現職】
中華人民共和国上海市栄誉市民
国際経営コンサルタント
前八佰伴国際集団 総裁
株式会社ハウインターナショナル 取締役会長
上海国際経営塾 塾長
福岡大学経済学部 非常勤講師

和田一夫Facebook公式サイト「和田一夫」で検索

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